親が事業をしていても継がなかった言い訳
ドラマに重ねる自分
休日は、緊急事態宣言じゃなくても僕は家にいることが多い。
平日の仕事帰りに休日家に居れる食糧を必要最低限買い出して家にいます。
最近は自粛ムードで昔のドラマの再放送をしていますが、当時会社員時代でまったくドラマを見ていなかったせいか何気なく見たドラマに考えさせられる自分がいます。
親の仕事を継ぐことが決まっている人生
あるドラマで親の仕事を継ぐことが決まっていて人生が損だという台詞を聞いた。
自分の人生だから好きなことをしようというよくある展開で落ち着くわけです。
現実、僕は今自分が何がしたいか分からない。
生活の為に今いる環境で自分ができることを精一杯させてもらってる。
僕は不登校でした。
小学校、中学校ほとんど行かなくて家でゲームばかりしていた。
しかも、僕は親の金を盗んでまでゲームを買っていた。
ある日、父親に仕事に連れて行ってもらう機会があった。
人様の家を沢山の職人で作っていて、父さんは家では見たことがないような汗ダラダラで働いていた。
僕も手伝おうとパイプを持つが、重くて落としそうになった。
手伝おうとしたことを褒めてもらえるかと思ったが、色々な職人さんに謝って僕は凄く怒られた。
それが凄く嫌で職場を離れてエアコンのない車でずっと待ってた。
僕は早く帰りたくて仕方なかった。
昼食になり食堂でご飯を食べたが、僕はファミレスとかを期待していたのでイライラしていた。
でも、食堂で食べたご飯は本当に美味しくて感動したのを今でも覚えてる。
僕は、なぜファミレスに行かないのか?と聞いたら父さんは汚れているから入ったら申訳ないと言っていたのが印象的で僕は後日不登校だったけど文集の宿題みたいなので書いた
同じ人間なのに職業で入れない所がある
みたいな文集が地元の新聞に載ったりした。
父さんは当時嬉しそうだったのをなんとなく覚えている。
お金を盗んでいることを知っているのに、直接怒られたことはなかった。
だけど、この日から子供の僕でもお金を稼ぐことは大変だと肌で感じてお金を盗むのをやめた。
そんな父親の仕事を継ごうという考えはまったくなかった。
父さんもそれを強要しなかった。
そして僕は高校はバイトと両立して、好きなことをしたくて専門学校に通って中退した。
明確な目標がなかった僕は、生活の為に社会人になって正社員になって恋愛して失恋して仕事を変えて沢山の人に出逢って今の自分がいる。
それが幸せだったのかは今は分からない。
言えるのは、その時は自分の中でベストな判断だったということ。
でも、父さんの仕事を継いだという世界線の僕がいたとしたら僕は誰に出逢って何を築いているんだろう。
父さんと仕事の意見を言い合いながら、父さんの背中を見て父さんと一緒に食堂でご飯を食べて母さんが待ってる自宅へ帰る。
一緒に仕事をしている職人の仲間と語らいながら母さんが作ったご飯を食べて一緒に父さんの会社を仲間と大きくしてその過程で出逢った女性と結婚して長男の子供を孫として父さんや母さん天国のばあちゃんに見せれたのか。
今頃、子供が思春期でどう接していたのかとか。
そんな様々なもしかしたらなことをドラマを見ながら思ってしまった。
確かなことは、父さんは今も事業を続けていて大変な仕事を家族の為に続けている。
そんな家族に僕ができることは何なのか?
自分の好きなことで生きていくって言うより難しい。
最後まで読んでいただき有難うございました。
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