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転職を失敗しないための心構えと実体験

2020年5月26日

実は転職活動成功のカギは自分自身にあるという話

転職の失敗理由を簡単にまとめました。
「昔からの夢だった仕事」「憧れの職業」、転職によってこうした夢をかなえることができると思うと、とてもわくわくする前にその準備が大切。

仕事内容や待遇、給与面の場合

信頼できる転職エージェントに丸投げするのもあり

転職した企業が合わなかったから、転職活動が面倒だからといった理由で出戻り転職を選択することは止めましょう。
転職をした理由がもし仕事内容や待遇、給与などであればまた同じことの繰り返しになりかねません。

転職はスキルや経験によって、同時期の同職種採用であっても給与額が異なります。
求人票の「最低保証金額」と通知書の賃金に関する項目を見比べておくことで、こうした失敗を回避できます。

自分が何がしたいのか不明確
成功談と同じくらい、失敗談も参考にしていきましょう。
また、転職に寛容と言われるクリエイティブ業界であっても一貫性のあるストーリーで自分の将来像を語れなければ不利になってしまいます。
まずは自分が何をしたいのか?将来に向けて何をすべきか?といったキャリアプランを明確にすることが重要です。
企業・業界研究と同等に、自己分析やキャリアパスの構築を徹底して行えば、自分にマッチする会社に出会えるはずです。

転職先の情報収集を怠る
「どこでもいいから早く転職を決めたい」という焦りから、しっかり情報収集をしないまま転職先を決めて失敗する人も多いです。
面倒くさがったり、給与面や残業の有無等などを重要視しすぎて判断要素が偏ってしまったりすると、結果失敗してしまうことがあります。

転職活動を開始するにあたり、事前準備は最も重要です。

  転職先がブラック企業だったらどうしよう…… 1社目でブラック企業だったから、絶対にブラック企業に…

そうすると、今のうちに転職した方がいいかもという気持ちになったり、友人が転職する姿を見て焦る気持ちが生まれたりして、勢いで転職してしまって後悔、という事例もあります。

「この人が辞めたんだから私も……」と周りに流されていては、そこにあなたの意志は無いため転職活動をしても上手くいきません。

また転職先が決まる前に辞めてしまうと、無職の状態を恐れ“どこでもいいから内定がもらえた企業に入る”という選択肢を選んでしまう危険性も。

効率的に転職活動を進めるだけが、転職成功の道ではありません。
自分にとって理想的な職場へ確実に転職するためにも、まずは退職理由を明確にして、『最低でもこんな職場は選ばない』という基準を持っておきましょう。

そうした場合は、どのみちもう元のさやには戻れないのだから、開き直ってもう一度自分がなぜ転職しようと思ったのか論点整理をするしかない。
なにせ一度余分に失敗したわけだから何が論点かはより鮮明になっているはず。
それを生かすことができるなら、その失敗は決して無駄ではないと考える。

お悩み太郎の体験

今、僕は泣きながら記事を書いています。
以前の記事で少し触れたような気がしますが、僕は社会人で役職にも就き地元の新聞にも掲載されたことがありました。
その新聞を近年天国に逝った祖母は嬉しそうに僕に見せてくれました。
近所の方からも、いつも僕の話を祖母はしてると。
月に数回会いに行くと
『あんたいいお嫁さんはいないの?あんたいい男だから近寄ってこんね』
なんて本当に可愛がってくれました。
そして、帰る時にいつも祖母は
『少ないけど持っていき』
とお金をくれたのです。

僕は、毎日深夜までの仕事量と役職のプレッシャーに鬱状態になり何の為に誰の為に仕事をしているのか分からなくなり起業を考えるようになりました。
今思えば僕は、人に頼るのが下手で何でも自分でやってしまおうと仕事を自分のキャパ以上に抱えてました。
だから、どうせ一人で仕事をするなら組織にいる必要はないと考えるようになっていきました。
休日も仕事で祖母に会いに行く機会も自然と減っていきました。

ある日、仕事中に祖母の近くに行く機会があり会社に帰る前に寄りました。
そこで、自分は会社を辞めて起業するという話をしました。
祖母は
『凄いじゃん。あんたいい耳してるから成功するよ』
と後押しもされ長年勤めていた会社を退社しました。

退社してからの何にも束縛されない自由すぎる時間にわくわくが止まらなくて、これからの未来が楽しみで仕方なかったです。
しかし、僕は退社ということを優先しすぎて何も準備していませんでした。
貯金も沢山あったわけではないので、一人暮らしのアパートの家賃や生活資金は何もしなくても出ていきあっという間に資金が底を尽きました。
仕方なく、仕事を探すフリをして職安に通い失業手当を貰いました。
その失業手当は最低限の生活資金であっという間になくなっていきました。
自分の思い描いた起業をする為に金融公庫に出向くも想像していたより複雑で申請前に挫折。
そして、失業手当も給付期間が終わりました。
僕は、もう生きるのに必死でとにかくお金をと自分ができるカードでのキャッシングと起業資金と言って銀行で借りたりして数百万の借金をしていました。
このカードも起業資金が借りれたのも、全て数年勤めていた会社の実績のおかげでした。
でも、この時の僕はお金が尽きる前にこの借金を事業投資して返せると簡単に考えていました。

そうして起業家きどりの無職を数ヶ月続けていた時に夢のような投資話が入ってきました。
皆さんご存知の仮想通貨の一攫千金のお話です。
当時、テレビでもバンバンCMや特集が組まれ怪しいなど思ってもいませんでした。
むしろ、早く情報を手に入れた僕は勝ち組だとさえ思ってました。
そして、手元に借金したお金で投資をしたのです。
そこからは投資した仮想通貨が上がったり下がったりするのを毎日数分眺める日々で、もう手に入れてない大金がまるで目に前にあるかのようなおかしな錯覚に陥っていました。

そして、数ヶ月経って・・・想像通りに借金だけが残りとうとうお金も底を尽きました。
アパート代も何も払えない状態になったのです。

僕は、何の為に会社を辞めたのかわけが分からなくなり絶対に誰かに雇われる人生は選ばないと決めていたのに泣きながら親に電話しました。
『ごめん。起業もしてなくて借金があって何も払えない』
そして、僕は実家に数年振りに戻ることになりました。

数日が経過して僕が借りた借金の催促に銀行の担当が来た。
『払えないじゃ帰れない。』
さらに連日鳴りやまない他の督促の電話にも僕は気が狂いそうでした。
仕事終わりの父が担当にお金を渡して帰っていきました。
父に他にも明日返済しないといけないお金があると話すと・・・
父がボロボロの財布をひっくり返して
『このままじゃ家庭が破産する』
と、仕事終わりの傷だらけの手でくしゃくしゃの一万円札を渡してくれました。

僕は、その手を見てこの一万円稼ぐのにどれだけ苦労して、僕の借金を返済する為にどれだけ切り詰めてと考えこの時本当に自分が情けなくて悔しくて自分のプライドのせいで大切な家族を苦しめている現実に何かが切れ、もう何でもいいから働いて借金を返そうとやっと思うことができました。
後で母に聞いた話ですが、僕の借金の返済の充てに少ししか載っていないトラックを売ろうと考えていたそうです。
僕は、両親に救われました。
この世には、僕の近くにも片親とか早くにとか色々聞く中で本当に僕は恵まれていると改めて痛感しました。
その方々から聞けば自業自得で甘えんなって話だと充分に理解しているつもりです。
退社して1年も経ってませんでした。

そして、仕事も派遣が決まり少し落ち着いた日に祖母を思い出しました。
祖母に会いに行くガソリン代のことを考えるくらい収入は返済に回ってました。
週払いという仕組みのおかげで毎週給料の先払いをしてもらい返済してました。
今思うと、数時間歩けば会いに行けるのにお金のことで頭がいっぱいでした。

ある日、久しぶりに祖母に会うと
『えらい痩せたねぇ、ちゃんとご飯食べとる?』
と、いつものように僕を心配してくれました。
そして
『馬鹿でも達者でようごんす』
と、とにかく元気でいることが大事だよと教えてくれたのでした。
帰り際に
『これ母ちゃんには内緒にしとき』
と、僕に2万円も出してくれたのです。

僕はこの時、起業をしようと決めたのは逆に僕が祖母に何か買ってあげて喜んで貰おうとかお嫁さんができたら祖母と住もうとか両親に何かしてあげようとかそういう気持ちで会社を辞めたのに・・・と様々な感情が溢れてきて号泣してしまいました。

『あれ、何泣いてるでこの子は』
と、細い手で2万円を僕の手に握って持たせてくれました。
僕は、この気持ちを二度と忘れてはいけないとスマホで祖母に分からないように写真を撮りました。

その写真が、パソコンのアルバムから今出てきたのです。
思いがけない写真に当時のことを色々思い出し、そして結局祖母にお嫁さんも孫を見せることも一緒に住むことも敵わず天国に逝きました。
15年前に先に天国に逝ってる祖父と今頃何をしているのか・・・

転職や起業をするなら、思いだけでは何もできないという自分の実体験でした。
だから、今も僕は派遣を続けながら自分が何をするべきか悩んでいます。

ここまでの長文にお付き合いいただき、祖母の思い出を共有していただき本当に有難うございました。

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